精神科医みそのれいの「失敗しない男選び」

男選びに失敗しまくる貴女のために

愛されないなら愛したくないと言う男は削除

ぬけぬけと、

愛されないなら愛したくない。

などと言う男は即削除で良い。自己肯定感も、ここまで未熟だと精神科治療が必要なレベルである。

誉められないなら努力したくない、

とか、

成功しないならチャレンジしたくない、

も同じ。本気でそう思っているなら、冗談じゃ無く、治療が必要である。

愛されないなら愛したくないどころか、愛されないなら愛そのものを要らないという男もいる。世も末だが、こういう男は恋愛してはいけないばかりか、子どもを作るなど、言語道断である。

自己肯定感が病的に未熟だと、このような、韓国ホラーみたいなセリフがリアルにボンボン飛び出してくるからマジでおそろしい。

近年、精神的に脆弱な男は、自分が傷つかないようにすることを最優先にした考え方や行動をとる傾向が強まっている。

その最たる例が、

愛されないなら愛したくないし、愛そのものを信じないし、めんどくさいから要らない、という論理である。

人と関わって裏切られたり嫌な思いをするくらいなら、そもそも人と関わるのをやめる、と言う、なんとも情けない男たちである。

普通が1番などと言う男は削除!

他人の目を病的に気にすると、自分の判断による決定行動できない癖がつく。自分では何も、自信持って、判断決定できなくなるのだ。そうなるとヒトの精神は間違いなく病む。病んで働けなくなり貧困になるのは当然として、それ以上に、貧困の沼から這い出せなくなる理由が、他人の目を病的に気にする脳みそにはある。


世界は「資本主義」という経済システムを採用しており、その資本主義では、「皆と同じ」とか「普通」は何の価値もない。このことを理解せずぼんやり生きている人は実にたくさんいて、以前、顔や体がカッコよくて私の好みだった男の口から、

普通がいちばん。

というセリフが飛び出て来た時、私は瞬間冷却されたみたいに一瞬で冷めた自分を自覚した。我ながらびっくりした。それくらい「普通がいちばん」という考え方は、資本主義においては適者生存できない危険な考え方である。びっくりしながらも、そういう不合理な考え方の男を本能的にシャットアウトできた自分自身の判断を誉めた。

もしあの時、私が自分を曲げ、彼の考え方に賛同していたら今の成功はない。おそらく一介の精神科医として外来や病棟業務に忙殺される生活をしていただろう。

繰り返すが、「普通」に良いことなど、何もない。

資本主義においてこの考え方はとても大事である。この認識を脳みそに刻まない限り、資本主義における成功は掴めないし、それどころか貧困の沼にずぶずぶ沈み、2度と這い上がれなくなるのだ。

報われる保証がなければ努力したくないと言う男は削除!

こういう↓↓↓反吐がでそうなセリフを平気で言う男は削除しないとだめである。

報われる保証がないなら努力なんかしたくない。

一流のアスリートや研究者が聞いたら、おまえ病気か?と呆れるだろう。気持ち悪いとすら思うだろう。それくらい狂気的な考え方である、これは。



成功すると予めわかってなければ、こわくてチャレンジなんかしたくないという論理である。

どういう頭してるんだか、、。

そもそも努力なんてものは、報われる保証が無いから努力するものなのに。考え方が真逆なのだ。報われる保証が全く無いレベルから必ず報われると自分自身で信じられるレベルに持っていく手続きがおもしろいから努力するのである。しかも努力はそれ自体が快感物質を放つ。だから努力をする。勝組の考え方はそうである。

一方負組は逆。失敗したら損とかカッコ悪いという不毛な考えに支配され、人生上の快感をどんどん取りこぼしていく。自分の知らない快感がまだたくさんあるのに、知らずに死んでいくのだ。せっかく生まれてきたのに知りたいとは思わないのか。

報われる保証が欲しいというのは、映画や小説を見る前に結論を知らされてしまうのと同じである。冗談じゃない!ふざけんな!が正常健全な反応である。

努力するなら、成功する保証が欲しいというのは病気の考え方だ。

狂っている。

努力することと結果はそもそも次元が別である。努力している最中に結果の件をあれこれ考えるようじゃ集中できてないのが丸わかり。そんな状況じゃ保証を求めようがどうしようが、どうせだめである。

必ず失敗するとわかっていたら努力なんかしない、という論理なのだ、そう言う人は。

考え方が全く違う。これが勝組と病的な負組の違いである。

自己肯定感抜群の男を選ぶ理由④

兄貴の凄いところは、自分が東大生だということを言わなかったことです。

福ちゃんは振り返る。

東大って普通自己紹介の冒頭に持ってくる、凡人ってそういうもんじゃないですか。でも兄貴は違う。そこに価値を感じてないんです。兄貴は散々言ってました。大学合格はただの通過点だと。おれが兄貴が東大生と知ったのは、兄貴の家に遊びに行った時、住人のひとりからそこに住んでる人が全員東大生だと教えてもらったからです。本棚に並んでる本が違ってましたし、難しい数式を書き殴った紙がキッチンのテーブルに広げっぱなしになってたり、そもそも話してる内容が東大でしたから、すぐに気づきました。

かっけーな!って思いましたよ。全然東大に見えないんですもん。兄貴。どう見ても日体って感じでしょ。早稲田とか。でも、アダルト会社でどうやって莫大な利益を上げているか、その収益構造を聞いた時、やっぱり東大だなと思いました。でなきゃ思いつかないですよあんなの。

その日からおれは家に帰らなくなりました。笑 ずっと兄貴ん家。だって弁当も作ってくれるし、洗濯もできますし、勉強も好きなだけ教えてもらえる。ただで東大生の家庭教師何人も利用できるんですよ。おれもすぐ第一志望東大にしました。こいつら全員使い切って合格してやると思いましたね。笑

親は、何にも言わなかったですよ。たまには帰ってましたし。それに、本当に、おれの行動や選択にぐちゃぐちゃ言ってくる親じゃなかったんです。寝るところがどこだろうと、おれがちゃんと学校行って部活にも出てるって信じてくれていた。そんな親に感謝しろと教えてくれたのも兄貴です。感謝の気持ちを行動にしろって教えてもらいました。

自己肯定感抜群の男を選ぶ理由③

健全に子離れを果たした親を持つ福ちゃんの話をしている。

銭湯で知り合った見知らぬ大学生山口君の自宅にその日のうちに転がりこんだ福ちゃん。のちのインタビューでその日のことをこう回顧している。

股座に座っても怒鳴ったりするような男に見えなかったですね。兄貴はとっくにリラックスしてました。顔もとろんとして。体はいかつかったけど、顔は高校生に見えました。でも多分年上だろうと思って兄貴と呼んだんです。そしたら、わざわざ腕に力を入れて力瘤を見せてくれたり、胸筋を触らせてくれたりしました。もう友達!って感じでしたね。

とにかくすごい体してましたからね、信用できると思いました。あの体を作るにはめちゃくちゃ努力が必要です。腕も足もパンパンでした。脹脛がおれの上腕くらいありましたからね。

福ちゃんは、山口君の体を見て、信用できると判断したと言うのだ。非常にアメリカっぽい。資本主義的思考である。そこに山口君は気づいたと言う。

知らない相手に遭遇した時、咄嗟に褒めることができると言うのは、すげえコミュ力だと思いましたね。ちんこ皮被りのくせに。笑 世間話するうち、バイトしたいんすよねーとか言うから、しめしめと思って、おれが「アダルト会社やってる」って言ったら速攻飛びついてきました。そうなるだろうと思って言ったんですけどね。ちょろいもんです。

ここは重要なところだ。普通、イマドキの高校生なら、見知らぬゴツい大人が「アダルト会社をやっている」と言おうものならビビって警戒するってものだろう。ところが福ちゃんは真逆だった。大喜びでついて行ったのである。相当成熟した自己肯定感がないと、この離れ業はできないと精神科医は分析する。

人間、信じるより疑う方が100倍簡単だからだ。疑いさえすれば関わることがなくなるので、何ひとつ問題対処する必要がなくなる。だから人は疑う方を選ぶのである。

逆に信じる方は、何か不測の事態が起こった場合対処しなければならない。自己肯定感が健全な成熟を認める子というのは、幼い頃から、この「対処」という行動を何百回と繰り返してきている。教育というものをよく知った親から、対処の機会を散々与えられ、中学卒業するまでに、立派に合格証書を貰っているのだ。福ちゃんもまさにそのおかげで、見知らぬ誰かに対し自分の判断で「信じる方」から人間関係を構築していく方が何かと合理的、ということをとっくに学習していたのだ。

自己肯定感抜群の男を選ぶ理由②

山口君の秘蔵っ子「デブフク」こと福ちゃんも、自己肯定感抜群の男の子だ。

福ちゃんが高校1年の時、部活帰りに時々立ち寄る銭湯で偶然山口君と出会った。

その先頭は湯船がそれほど大きくないこじんまりした銭湯らしく、山口君が大股開きでくつろいでしまうと、他入れても1人か2人といったキャパシティのところ、既に山口君をいれ3人浸かっていたらしい。

福ちゃんは、湯船の手前まできて一瞬足を止め、入る場所ないじゃんかよ!と思ったかどうか知らないが、次の瞬間、大股開いている山口君の足と足の間に、

ちゃっす!

と言って入ってきたというのだ!!!これはすごいと思う。山口君は、顔は可愛らしいけれど、体は相当にゴツく、格闘家か何かに見える風貌である。福ちゃんにしてみれば見知らぬ年上のゴツい大人の男である。それを、

ちゃっす!

と言って、よりによって足と足の間に入り込んでしまうというのが大器の片鱗を既に覗かせていたというところだろうか。そして福ちゃんの方から、山口君にこう言ったそうである。

兄貴、めっちゃすごい体してますね!!!

「あにき」である。見知らぬ、大人の、格闘家に見える、山口君に、高校1年生が、「あにき」と言ったというのだ。

山口君は福ちゃんに自分の素性を自己紹介し、その日のうちに福ちゃんは山口君の家に泊まりにきたそうである。これもすごい。なぜか。

普通、親が許さないからである。仮に息子がそうしたいと言っても、過保護で心配性な親は必ずダメと言う。

ところが福ちゃんの親は違っていた。福ちゃんが銭湯で知り合ったばかりの見知らぬ男の家に泊まることをすんなり了承したのである。なぜか。正常に子離れできている親だからである。発達心理学的に言えば、中学を卒業した息子の選択に親がああだこうだ言うのは間違いとされている。親がやかましく介入する時期は中学卒業までとされているのだ。

ちゃんと子離れできている親だからこそ、福ちゃんは既に親離れし、自分の判断に自信を持ち、自分のしたいように行動できていた。高校一年生の時点で、自己肯定感は随分と健全な成熟を遂げていたのだ。

自己肯定感抜群の男を選ぶ理由①

これまで何度も「自己肯定感が健全に成熟した」男しか選んではいけないと述べてきた。理由は論文が1本かけてしまうほどある。中でも大事なのは、自己肯定感が健全に成熟した男は、人間関係に極めてオープンであることだ。例えば、その日知り合ったばかりの男(ヤリたいだけの理由で異性を泊めるのではない)を自分の部屋に泊めることができる程、と言えばわかりやすいだろうか。

アホな男はその日知り合ったばかりの女は自分の部屋にあげることができても、男をあげるなんて「怖くて」できないだろう。この根拠なき不安というのが、自己肯定感が未熟である証拠である。

自己肯定感というのは、不測の事態が起こっても自分で対処できるという揺るぎない自信がある状態のことを言う。つまり、見知らぬ人を疑ってかかる必要がないということだ。これは社会生活を送る上でものすごいアドバンテージである。

引退した山口君に老若男女問わずさまざまな人びとが大金を投じた理由が、この「人にオープンな性質」である。会った瞬間から「他人のような気にさせない」「なぜか随分前から友達だったような気にさせる」能力がずば抜けていた。そもそもADHDには陽気な人が多いものだが、山口君はまさにそのADHDの恵みである陽気さをフル活用し「価値」への変換に成功した男の子である。

毎年5月の今頃になると私は胸がしめつけられる。

4年前、私が初めて山口君と出会ったのが5月だったからである。表参道で唐突に声をかけた私に、山口君は最初からオープンだった。九州の田舎から上京してきたばかりの18歳の男の子である。何度も言うが、その時の彼はまるで部活帰りの高校生のようだった。そもそも人に声をかけるのが得意な私は、さらっと声をかけ、裸を見せて欲しいと頼んだ。

普通なら、頭のおかしい女と思うだろう。100人いたら99人、いや、1000人いたら999人が、怪訝な顔して通り過ぎたに違いない。いくら私が相応の美人でも。原宿で見知らぬ男に向かって「裸を見せて欲しい」などと言うのは狂人と思われても仕方がないと、言っている私が認めるくらい風変わりなリクエストである。

その時山口君は、今と変わらぬ笑顔で、ニコニコして、頬をわずかに赤く染めて、

いいっすよ。ここで、脱げばいいすか。

と言ったのだ。

彼は原宿のど真ん中で裸になれるほど体に自信があったのだろう。それくらい毎日必ず鍛えてきたに違いない。そして、恥ずかしいという面倒くさい気持ちもなかったのだろう。

「見たい」と言う人は好意的だから「見たい」と言う。だから恥ずかしがる必要などない、というシンプルな真理を彼はとっくに理解していたのだ。大の大人1000人のうち999人が理解できていない真理を、彼は誰に教わることなく良質な教育の中でちゃんと理解していた。