精神科医みそのれいの「失敗しない男選び」

男選びに失敗しまくる貴女のために

男に大金を投じるのを躊躇う男は削除②

新たに知り合った男に大金を投じることが、男のスクリーニングとなることを説明している。

女が金を出し続ける時、貧困男は必ずそこに「あぐらをかく」。初めのうち、「おれも半分出すよ」と言っていたとしても次第に言わなくなり、しまいには「ごちそうさま」も「ありがとう」も言わなくなる。それはそれで良いのだが。

問題なのは、女目線で、投じた金がちゃんと回収できているかを認識できるかどうかである。

見返りのない愛に満足するレヴェルに達するためにもこの経験は必要である。

つまり、自分が投じた大金を「もったいない」と思うような程度の男か否かを終始精査し続けるのである。ちなみに山口くんや奥村くんに大金を投じる人々は1年経とうが2年経とうがその気持ちに変わりはなく、信頼感が厚くなるにつれ、投じる額はむしろ多くなることを知っておいて欲しい。

投じる金額を「もったいない」と感じ、ジリ貧になるような相手(男)は、その現象を認識した時点でとっとと削除するのが賢明である。何故なら、その男は自分の資本主義的価値を「明確に提示するのに失敗した」からである。もしくは価値そのものが無いのだ。

男に資本主義的価値があり、女に投資感があれば、どれだけそこに金を当時ても「無駄」とか「もったいない」と思うことはない。長期的視点で見ることができるような男と認識できたなら、その男は勝ち組である。ただ一般人にはまずいない。やはりゴリゴリ生粋の体育会じゃないと、そのレベルの男に知り合うのは難しい。

男に大金を投じるのを躊躇う男は削除①

いい男を選ぶ際、自分自身を選択のフィルターに利用する方法がある。知り合った男に、次々と金を使ってみるのだ。

私は、新しく男と知り合うと決まって大量の金をその男もしくはその男との「付き合い」に投じるようにしている。この方法は周囲の女医たちにも推奨し何度か統計をとっている。

参考までに、だが。

女医が1回10万円という金額を何回連続でその男に「お小遣い」として渡すことができるか。これで投資すべき男、大金を投ずるべき男か否かがはっきりする。

最初の1ヶ月で、こんな男に金を投じるのは無駄だと判断する羽目になるのがほとんどである。3ヶ月もてば表彰ものだ。半年はもたない。半年もつとすれば、山口君や奥村君レベルの男であって、それ以外の、価値(資本主義的価値)が曖昧、もしくは価値が無い男に、常に絆されて(ほだされて)金を出すのには限界(期限)が必ずあるということである。

繰り返すが、男に最初、金を投じることは間違っていない。女が男に金を投じるという行為は男を品定めするのにとても良いスクリーニング方法であることは知っておいてもらいたい。

体重105キロ男が高く売れる理由

何故体重105キロの男が高く売れるんですか?

という質問もよく受けるが、解答は非常に明快である。

資本主義だから。

お分かりいただけただろうか。それとも「は?」だろうか。

資本主義において「普通」とか「よくある」とか「大多数」に何の意味もない、高い価値がつかないことは、これまで100回以上説明してきた。こんなことは私がいちいち説明しなくても、佐藤優や瀧本哲史氏の著書に必ず説明してあるので、読めば納得していただけるだろう。

要は「簡単に手に入れられるもの」に大した価値はないということだ。

私の好きな105キロ男、例えば今なら、天理大学ラグビー部主将の佐藤康(こう)君だが、奥井君に負けず劣らずカッコいい。全身強直性痙攣が起きそうだ。

この体格。例えばむき出しになっている太ももを見ていただければすぐわかると思うが、ものすごい筋肉量である。見事としか言いようがない。

この体を所有している男の子がどれだけいるかという話である。そんじょそこらにはいないのである。朝から晩まで新宿駅の改札前にいたところで、ひとり通るかふたり通るか。そのくらいの希少ぶりなのだ。

希少に価値が高いことはお分かりだろう。誰でもいつでも簡単に手に入れられるものに大した価値がないこともわかるだろう。

佐藤君、奥井君レヴェルの男の子など、そう簡単に見つかるはずないし、まして、手に入れることなどできないのである。だから極めて高い価値がつくと、こういう論理である。

女が山口君奥村君を手放せない理由

仮に彼氏や夫がいたとしても、ふたりで無人島にでもしけこまない限り、必ず他のカッコいい男が登場する。

そして登場した男が今彼や夫より魅力的なら、賢い女はあっさり乗り換える。この世は弱肉強食。男女関係にも資本主義がゴリゴリに効いているのだ。

このように浮気や破局はほとんどの男女に必ず訪れる。

しかし忘れてはならないのは、一部その論理が通用しない男がいるということだ。他の男が現れようとどうしようと、絶対に負けない男がいる。山口君や奥村君はまさにその種類の男である。

絶対に負けないための条件は、抜群のアイデンティティが確立していることである。資本主義の言葉で言えば「他の有象無象と完全に差別化できる」自分を確立しているということだ。

山口君も奥村君も、見た目も行動も当然頭の中身も、独特であり、特殊であり、人によっては「イカれた野郎」と揶揄する者すらいるが、彼らにとって「イカれた野郎」と言われることすら快感なのだ。大多数が否定的に受け取る言葉すら、彼らにとっては肯定なのである。

私たちキャリア女性からすれば、山口君や奥村君を振る女の方が「イカれて」いるとしか思えない。

彼らほどのアイデンティティともなると、よほど頭の弱い女でもない限り「他で代用など絶対効かない」ことくらいすぐわかるはずである。似たような男などどこにもいないからである。つまり浮気しようにもできないということである。

人は積極的に自ら選んだ選択を、うっかり手放したりなど、絶対しないように脳みそができている。うっかり手放すということは、大してちゃんと選んでいないということの証なのだ。

山口君も奥村君も女性に無防備無頓着である。女のケツを追いかけたり、執拗に誘ったり、気を引くために媚びたり、といった下衆な真似を絶対しない。

そういう時間やエネルギーの浪費を一切せず、今すべきことに優先的に時間とエネルギーを投入するという習慣をとっくに身につけている。だから女性に無防備無頓着でいられるのだ。

そういう姿こそが女を魅了するということを、世の大多数の男は知らねばならない。マンションや車などの「所有物」でアイデンティティを誇示する時代はバブルとともに砕け散った。今はリンダグラットンの言うように「体験」で差をつける時代である。

ここではっきり「人生をかけて没頭できるものを持っている男と持っていない男」の差が出る。

体重105キロ男がカッコいい理由

これまでの私の人生で、最も数多く受けた質問がこれだ。

何故、太った男なんかが好きなんですか。

もう何千回返答したかわからない。LINEやSNSが登場してくれたお陰で、いちいち、ひとりひとり返答しなくても良くなったのは助かるが、代わりに質問の数が10倍以上に増えた。ネット経由で質問するのは、質問する側からすると対面でない分、聞きやすいからだろう。

私が体重105キロの男が好きな理由を説明する。

まず、体重105キロには意味がある。ラグビースクラム最前列、1番プロップ2番フッカー3番プロップの男の子たちの平均体重が大体それくらいだからだ。もちろん正確な統計ではない。あくまでも私の印象だ。現に大阪桐蔭高校から帝京大学に進学した奥井君の体重は104キロである。




この「105キロ」には「素晴らしい体格」という意味を込めていることをまず知っていただきたい。身長は175センチ程度を想定している。(個人的には身長は低い方が好きなのだが)

従って、「太った」という言葉でひとくくりにしてもらっては困るのだ。ジャンクフード漬けで、全く運動をしない、体重はあっても筋肉量が異様に少ないただの肥満の105キロのことを言ってる訳じゃないのである。そんなのは言うまでもなく言語道断だ。

なので、太った男「なんか」と言う表現は全く検討外れである。「なんか」という日本語には軽蔑の意味が込められているが、運動もせずただ太った不摂生極まりないただの肥満であるところの「太った男」になら「なんか」という日本語も結構だが、私が標的にしている「激しいコンタクトスポーツをするに必要な筋肉と脂肪を装備した105キロ110キロの素晴らしい体格」には、間違っても「なんか」などという日本語が不適切だということも、半沢直樹風に言えば、知っていただこう。

絶対に選んではいけない男ナンバーワン!

精神科医として殊更、これだけは絶対だめと言っておきたいのは、

自己肯定感が成熟していない男、これだけは絶対選んではいけない。


自己肯定感が成熟していない男は、自分自身を信じることができない。それどころか、自分を信じるという感覚すらわからないと言う致命的な欠陥を持っている。なので他者を信じることなど到底できず、

信じるための材料をくれ。
オレを信じさせてくれ。

などと大バカ野郎なことを平気で言う。


自分の判断で信じることができないため、判断材料を他人任せにする癖がある。信じるための材料を他者に求めるということは騙されても自業自得だという論理が理解できないのである。

自分自身を信じられなければ他者を信じるなど絶対に無理である。たまたま親兄弟を盲目的に信じたりする気分を味わうこともできるようだが、あくまでそれは盲目的という条件付きであって、信じるというシステムが健全に作動しているわけではない。なので相手を試すようなことをひっきりなしに言ったりやったりし、結局自分自身の価値を貶めていくのである。

自分を信じられず、他者も信じられないという脳みそが引き起こす人生最大の悲劇は、努力の継続ができないことである。これは致命的である。

努力の継続ができなければ何もやり抜くことができず、どれもこれも中途半端、食べかけの弁当や果物が部屋にどんどん溜まっていく様を想像して欲しい。まさに不健康、不潔である。何もやり抜けないということは自己肯定感も蓄積せず、アイデンティティも得られないということである。

自力で月30万円稼げない男は削除!

会社に雇われずとも月30万程度の金を自力で稼げないような男を絶対に選んではいけない。

貧困に落ちるのが目に見えている。

例えば、資本主義の癌とも言われる「ブラック企業」の餌になっている男である。

自力で稼げないと、会社の言いなりになるしか選択肢がない。狂気じみた長時間労働が自分の健康を侵害しても黙認するしかなくなる。評価されるスキルや能力を持たないと、薄給過重労働を余儀なくされ、転職すらままならない。

ブラックはこういう労働者を餌にしている、という論理を理解していない男のことである。癌治療に、癌に栄養を供給する血管を塞ぐという治療があるが、それと同じで、ブラック企業を根絶するには、ブラックに勤めるしか他に選択肢が無い人々を再教育するしかない。

そういう男との付き合いを想像してほしい。

会えば会社や社会への不平不満を垂れ流し、コンビニ店員相手に怒鳴り散らす。打ち込むものも何もなく、楽しむと言えば、食う、寝る、セックス。もちろん毎日ジム通いなどできるはずもない。休日は際限なく寝続け、昼過ぎになってようやく目を覚ましたと思ったら、スマホを弄るかゲームに興じる。

私はこの種類の男とだけは絶対に関わらないと心に決めている。何故なら、

人生の貴重な時間を無駄にしたくないからである。