体重105キロ男が高く売れる理由
何故体重105キロの男が高く売れるんですか?
という質問もよく受けるが、解答は非常に明快である。
資本主義だから。
お分かりいただけただろうか。それとも「は?」だろうか。
資本主義において「普通」とか「よくある」とか「大多数」に何の意味もない、高い価値がつかないことは、これまで100回以上説明してきた。こんなことは私がいちいち説明しなくても、佐藤優や瀧本哲史氏の著書に必ず説明してあるので、読めば納得していただけるだろう。
要は「簡単に手に入れられるもの」に大した価値はないということだ。
私の好きな105キロ男、例えば今なら、天理大学ラグビー部主将の佐藤康(こう)君だが、奥井君に負けず劣らずカッコいい。全身強直性痙攣が起きそうだ。
この体格。例えばむき出しになっている太ももを見ていただければすぐわかると思うが、ものすごい筋肉量である。見事としか言いようがない。
この体を所有している男の子がどれだけいるかという話である。そんじょそこらにはいないのである。朝から晩まで新宿駅の改札前にいたところで、ひとり通るかふたり通るか。そのくらいの希少ぶりなのだ。
希少に価値が高いことはお分かりだろう。誰でもいつでも簡単に手に入れられるものに大した価値がないこともわかるだろう。
佐藤君、奥井君レヴェルの男の子など、そう簡単に見つかるはずないし、まして、手に入れることなどできないのである。だから極めて高い価値がつくと、こういう論理である。