精神科医みそのれいの「失敗しない男選び」

男選びに失敗しまくる貴女のために

女の方から会いたいと言わせる男

東京の娼年は全員、女の方から会いたいと言わせるスキルを身につけている。逆に言えばそのくらいできなければ客から1時間10万円以上の報酬を引っ張り出すなど無理である。

例えばエース奥村君。自分の方から女を誘うような無粋な真似は絶対にしないと宣言している。そして会っても「エッチは絶対しない」と釘を刺す。なぜか。

この理由がわからないようでは、1時間10万円20万円と客から引っ張り出す東京の娼年には逆立ちしてもなれない。この理由はメンタリストダイゴがしょっちゅう使用している「簡単なテクニック」だからである。

エース奥村君でなくてもいい。ついこないだまで高校生だった、この4月から大学1年生になった福ちゃん(通称デブフク)を例にあげれば、福ちゃんは野球部でも体重が100キロ超あるため、俗世では「デブ」の部類に分類される。(実は然るべきトレーニングをしているのでデブではないのだが)

ところが福ちゃんは「出会い系の天才」と異名をとっている。どういうことかというと、真っ黒に日焼けしまん丸顔の100キロの野球小僧のくせに、出会い系では100戦100勝、会えないことは絶対ないというのである。これもメンタリストダイゴのテクニックと同じである。

メンタリストダイゴのテクニックの基本は、相手に選ばせる、である。

福ちゃんの方から「会おうよ」だの「会いたい」だの絶対に言わない。向こうから、女の方から「会いたい」と言ってくるのである。正確に言えば、女の方から「会いたい」と福ちゃんが「言わせている」のだ。福ちゃんが、女をして、自分を「選ばせている」のである。

こう言った心理学的スキルは、資本主義で結果を出すための強力な武器となる。当たり前だが。客に選んでもらう、ではなく「客に選ばせる」が可能となるからである。

抜群の自己肯定感を持つ男の子

健全に成熟した自己肯定感を持つ男の子と、忍耐強く人間関係を深めることが、自己肯定感が未成熟な女には必要である。特に「恋愛体質」と呼ばれる依存気質の女には。

頼まれもしないのに当時の私はサキのためにサキに相応しい男を探した。今思えば相当恥ずかしい行為であるが、当時の私は真剣だった。熱かったと言ってもいい。

実はその前田君という男の子が、まさに今の奥村君みたいな男の子だった。見た目がもう「男!」って感じで、性格もやんちゃで一徹。ちょっと酒癖悪いかな、と女の子を心配させるような素振りを見せるものの、全然しっかりしている。上手に酒に飲まれることのできる男だった。

私が前田君を選ぶ決め手になったのは、ラグビー部の彼とは別の部活の後輩が、前田君のことを「あの人はかっこいい」と言って憧れているという話を聞いたからだ。別の部活の下級生にまで「男っぷり」が知れ渡る前田君の「男っぷり」をアイデンティティと言わず何をアイデンティティと言うのだと思ったくらいだ。

前田君はもちろん、女に媚びない男だった。そして奥村君も。それくらい前田君と奥村君はかぶる。

「女に媚びない」はかっこいいと目される男の必須アイテムである。女に気に入られたい一心でひたすらイエスマンになる愚か者とは大違いである。イエスマンなど即座に削除だ。

そしてもちろん、前田君は同性より異性を優先するタイプではなかった。彼には申し訳ないが、こっそり試したことがある。サキとの約束にかぶせるように、相撲部の彼に頼み彼を誘わせたところ、前田君は迷わず相撲部の彼を選択した。これには痺れた。信用できる男だと私は思った。

前田君の自己肯定感の源泉は「3人の女よりラグビー」というくらいの「ラグビー好き」だった。選手としても一流だったが、スポーツとしてのラグビーを愛していた。ラグビーの話を始めたら止まらず、見知らぬ人と知り合った最初の挨拶に、「ラグビー好きですか」と質問するくらいの、「好きっぷり」こそが、今でいう「夢中」「没頭」というやつだが、前田君のそれは大多数の人のレヴェルとはまるで違っていた。

「会わなきゃ何もわからない」と言う男は削除!

出会い系男がしばしば口にするこのセリフ。

会わなきゃ何もわからない。

一見正しそうに思えるこの考え方、実はこいつも昭和の価値観である。おそらく口にしている男は、意味をよくわかっていない状態で口にしているのだろう。

会っても何もわからないだろう。

精神科医の私はまずこう返答する。なぜか。1年2年3年と付き合い結婚しても、罵り合い憎しみ合い裁判沙汰にまで発展し別れる男女のなんと多いことか。会うどころか3年も5年も一緒にいるのに、相手の真実の顔を見抜けなかった証拠ではないか。

違うのか?反論があるなら聞くが。

もう一度言う。会っても何もわからない。

理由を説明する。相手を精査し評価判定するプロトコルがそいつの脳みその中に存在しないからである。言い方が難しいならこう言おう。

選ぶ脳みそのない奴が実際会おうがどうしようが、正しい選択などできやしないということである。

若い世代に至っては3カップルのうち2カップルは3年以内に別離、離婚する今である。残りの1カップルも時間の問題だろう。なぜこういう様になっているかと言えば、冒頭に述べた、

会わなきゃ何もわからない。

という間違った考え方に支配され、適当にボンボンあった末、どんな選択のプロトコルも持たず、当てずっぽうに「恋人宣言」し、子供ができたという理由で結婚した結果のザマが、70%近い離婚率である。

会わなきゃ何にもわからない、ではなく、会おうが会うまいが、精査評価判断するプロトコルを持たなければ、特に今みたいにコロナ感染のリスクを冒してまで会うなんぞ、ありえるか。という話である。

イマドキの恋愛の構造

恋愛にはパワーが必要と、よく言われる。従って、うつ病の最中に恋愛などできるはずがない。

ところで、恋愛は何故、そんなにパワーを必要とするのか。

愛されていると確信したいからである。確信したいから、頻回にメールが欲しがるし、頻回に会いたがる。そして情動が不安定になるからである。愛しているのは実は自分だけで、相手はそうでもないかもしれない、という思いに振り回され、ひどく情緒不安定になる。だから、せめて一緒にいる時間を長びかせることで、まやかしの安堵を得ようとするのだ。

要は、見えない相手の腹の中を探ろうとすることにパワーを浪費してしまう。だからひどく疲れるのである。

本末転倒だ。

しかし学習出来る者は、一度そういう経験をすれば、それらのことが愛されている証拠にならないと気付く。

無闇に一緒にいたがるのは、不安だからである。自分の不安の制御ができないからである。そして心理学者植木理恵が指摘するように、恋愛相手を自分の承認欲求を満たすことに利用しているからである。

学習する者は、殊更心理学の知識などなくても、自分の置かれた状況を振り返り、何かおかしいと気付くのである。

勉強に集中できなくなり、携帯電話(スマホ)ばかり気にするようになり、彼からのメールじゃないとがっかりしている自分に気付き、

何かおかしい。

そう気付くのが健全な精神の持ち主である。

何故、彼からのメールじゃないと知り、がっかりなど、しているのか。彼はメールをしない人かもしれないのに、何故、自分勝手な思い込みで、がっかりなどする必要があるのか、という話である。

それこそが植木理恵の指摘する自信のなさ故である。自分の自信のなさを相手を利用し補完しようとするから、がっかりするのである。

恋愛で身を滅ぼす女③

しかし、一応父に相談してみることにした。というのは、相談したらどういう回答が返ってくるか、する前にわかっていたからだ。

他人のプライバシーに首を突っ込むんじゃない。

必ずそう言われると判っていた。そしてやっぱりそう言われた。確かにそうよね。今の私でも相談されればそう答える。恋愛で自滅しようが大学に落ちようが、それはその人の勝手である。人は必ず、自力で人生を生き抜くのに必要な失敗経験をしなければならない時がある。その時の彼女はまさにその真っ最中だったのだ。

介入するのはやめよう。私は心に決めた。そうだ。失敗こそ学習に必要な体験なんだ。それを奪おうなんて、私もどうかしていた。

そう心に決めると、すっと気持ちが楽になった。あれ、なんか調子いい。勉強も捗る。実はその時、私も彼女の愛の嵐に巻き込まれていたのだと気づいた。

結局、サキは一浪した。

でも、今覚えば、一浪なんて、どうってことないものである。それより、一浪するほど価値のある体験をその時したかどうか。そこが重要だ。恋愛をするには、健全な自己肯定感の成熟が必要であることを、後に私はサキと話し合えるようになった。彼女は己の自己肯定感の未熟さに気づき、それこそそっちの方を優先する勢いでラストスパートを図った。というのは、自己肯定感の成熟のタイムリミットは思春期の終わりだからである。

自己肯定感の成熟に「先ず」必要なのは、毎日必ずをひたすら継続することである。とにかく毎日。そして毎日が自然になってきたらだんだんと負荷を上げていく。ちょっと無理かも。と思えるくらいの負荷をじりっじりッとあげていくのだ。

そして「次に」必要なのは、そもそも健全な成熟を遂げた自己肯定感の持ち主との人間関係を深めることである。私は相撲部の彼に頼んで、ともだちを紹介してもらい、厳選に厳選を重ね、前田君という男の子を推薦した。これは恋愛相手としてではなく、あくまで自己肯定感の健全な成熟のお手伝いという目的で、と建前を説明したが、実は良い関係が築けそうな男の子だと私が確信したというのもある。とんだお節介なのだが。

恋愛で身を滅ぼす女②

サキが全国模試の成績優秀者の圏外になるなど、ありえないことだった。初めて男を好きになるまでは。得意の数学では開成や麻布の男の子を差し置いてトップをとったことも数回あるくらいの秀才だったのに。

私は見るも無残に打ちひしがれた彼女を遠目に見て、ゾッとしたことを覚えている。明日は我が身。しっかりしないと。と、自分を戒めた。

サキは、ふしだらな男に徹底的に振り回されていた。学校名は伏せるが、鉄緑会で知り合ったと言えば大体わかるだろう。おそらくその男も自己肯定感は病的に未熟だったに違いない。何故ならふたりの関係は恋愛ではなく支配被支配の関係だったからだ。

高校二年にもなると、それまで圏外だった子たちが一斉に勉強をはじめ、順位がかなり入れ替わる。どんな進学校にも、最後の1年で急激に伸び10傑に入ってくるような子が必ずいる。そしてサキのように10傑の常連が見るも無残な圏外落ちすることも全然珍しくない。普通にある。

問題はここで挽回するか否かである。挽回するには体勢の立て直しをしなくてはならない。その立て直しに必ずどれだけか時間を費やす。ラストスパートと言っても、全員がスパートするわけだから、相当な号脚を繰り出さない限り、ゴール直前で差し切るなど無理である。

私は最終通告のタイミングを見計らい、セリフまで準備していた。そこで男を断ち切らなかったらもう間に合わないというタイミングである。

これも当たり前のことだが、成績が落ちると、それまで取り巻いていた友達連中は見事にいなくなった。現金なものだ。よくあるとは言え、下衆すぎる。なので、この局面でサキに何かを言えるのはもう私しかいないという格好になっていた。

恋愛で身を滅ぼす女①

高校時代の親友のひとり「サキ」がそういうタイプだった。恋愛することで具合が悪くなり、成績まで大きく落とす。しかもそれを東大受験のこれからって時にやってるから、親友として黙っていられなくなった。

あんた何してんの。大事な時期に。そんな体たらくになるんだったら彼氏と別れなよ!

きっと私は怖い顔をしていただろう。しかしもっと怖い顔をしていたのはサキの方だった。

あんたはいいよね。大学生の、それも、相撲部の男と付き合ってるんだもんね。そりゃ安心でしょうよ。

あんた、何言ってんの?その男と付き合って頭まで悪くなったんじゃないの。

ほっといてよ!私がどうなろうと他人の勝手でしょ。なんでそうぐちゃぐちゃ言ってくるわけ。結局あんたは私を見下して楽しんでるだけでしょ。本当に心配なんかしてない。うざいだけ。消えて。

彼女も負けず劣らず口が達者なタイプであることをとっくに知っていた私は引き下がった。悪いのは私だ。頭ごなしに叱り付け、話を聞こうともしなかった。反撃されても仕方がない。

ごめん。私が悪い。のっけから感情的になって、しかも否定までして。でも、見下してないし、心配しているのは本当。だってライバルが勝手に自滅してくれる方が受験には有利。でも、私はそんなふうに思ってない。

彼女の具合が悪かったのは、「結局あんたは私を見下して」の件でわかる。今ならばね。人は具合が悪くなると被害的になる。何でも悪い方に悪い方にと解釈するようになるのだ。

それくらいサキは恋愛に溺れ、溺死寸前だった。

相手の腹の中や心の内など、誰にも、どうしようもできないことくらい知っているのに、知っていなきゃ恋愛なんかしてはいけないのに、彼女はそのルールを守れなかったのだ。健全な恋愛ができるほど、彼女の自己肯定感は成熟していなかったということである。